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エッセイ > 奥村 正彦 > その頃、その時
奥村 正彦エッセイ 奥村 正彦エッセイ 奥村 正彦エッセイ

その頃、その時
掲載日:2008-1-16 (3573 回閲覧)

 ここの美術館の嶋田彰夫さんのスケッチ、「河原、市橋の裏通り」を拝見して、たまらなく切ない想いに駆られた。幼年の日の記憶がまざまざと蘇り、絵の中から、腕白盛りの、ちいさな私と近所の幼友達が一緒に歓声を上げながら駆けてくるのが見えるのである。魚松のハジメちゃん、十里勝(とりかつ)のタケシさん、森山機料店のハッちゃん、松村印章店のタッちゃん、織田機業場のヨッちゃんたち・・・名前の正確な漢字表記を忘れている、失礼をお赦し頂きたいが、懐かしい顔はみんな昔のままだ。
 季節は夏休み、昼ごはんを食べると、後町(うしろまち)商店街の住人である私たちは申し合わせたように浄敬寺の境内に集まり、それから、徒歩で3,4分の九頭竜川堤防に面した遊び場に向かう。市橋の裏通りはその途中にあり、今はすっかり様子が変ってしまい、当時との比較も容易ではないが、「市橋の裏通り」のスケッチ右側は「また川(これも正確な表記がわからない)」という九頭竜川の支流(?)が流れていた。そこを渡り、畑を抜けると弁天堤防が自然のフェンスとなっている子供広場に到着する。まだ、勝山病院はその広場の隣にあった。私たちはそこで三角ベースの野球をひとしきり楽しんで、その後、堤防を越え、弁天で泳ぐというのが毎日のメニューだったと思う。

 市橋の裏通りが私(たち)にとって格別切ない場所であるのには訳がある。

 市橋の裏側の反対、表側、玄関が面している河原町通りは、当時(昭和20年代後半)、遊郭、料亭、酒場が軒を連ねて賑わう勝山の花街であった。火点し頃になると化粧したきれいなお姐さんたちが店の前に佇み始めるのを見た記憶があるが、それが意味するところは何もわかっていなかったと思う。こども心にもそこは私たちが立ち入ってはいけない大人の世界であるのを知っていたのだと思う。
 けれど、私たちが遊び場に出かける頃は花街が目覚める少し前であった。遊郭と遊郭の間の道を抜けると「また川」に出る。つまり市橋の裏通りからは私たちの世界だった。「また川」には魚やトンボが群れをなし、特に市橋の裏手は私たちのセミ捕りのポイントであった。絵にも描かれているが、庭からはみ出した桜の木にミンミン蝉が何故かよくいたのである。
 そんなある日、例によって、セミを捕ろうと差し出したタモ網の手元が狂って柄がセミに当たり庭の内側に落ちた。「惜しい!」私たちの中の誰かが塀に手をかけ、懸垂して中を覗いた。
 瞬間、その誰かが「おい!」とくぐもった声をあげ、「見ろ!見ろ!」と小さく叫んだ、私たちは彼に続いて一斉に覗いた・・・・

 今でもそれは目に焼き付いている。おそらくそこの娼妓のひとりだと思うのだが、手にタオルを持っただけで、あとは一糸まとわぬ裸で縁側に立ち、湯上りの姿態を惜しげもなくさらして、じっと、庭の池を見つめていた。
 私は、女性の裸体を意識して見たのはそれが初めてだった。
 私たちはその後、私たちが目撃した光景を誰ひとり口にしなかった。口に出せば叱られる、という想いが強かったからと思うけれど、それ以上に<性>的気分の目覚めが恥ずかしかったのではなかろうか。
 私の「ヰタセクスアリス」である。
 ただ、その時のメンバーが上の方々かどうかはまるで記憶がない。

 それから、10数年が経ち、私は大学生になり、社会人になり東京へ出た。そして、帰省するたびに勝山の花街を飲み歩くようになった。遊郭はもちろん姿を消し、河原町通りは昔日の面影を残すのみであった。しかし、市橋の裏手の桜の木は変わらず、私を試すかのように青々と葉を茂らせ、枝にセミを留まらせていた。

かっちゃまねっと美術館より。嶋田 彰夫さん 「河原、市橋の裏通り(94.5.4)」


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 弁天河原の思い出
 投稿者:  ゲスト 投稿日時: 2008-1-18 12:53  
 奥村さんのエッセイの中に、『その後、堤防を越え、弁天で泳ぐというのが毎日のメニューだったと思う。』とありますが、おそらく今の若い人には理解されないでしょう。弁天のどこで泳いだのだろうかと。
 上流に九頭竜ダムができ、大水が出ることも少なくなって公園ができ、今では、野球をやったり、サッカーをやったり、ゲートボールやマレットゴルフが行われていますが、かつては流れがあり、貸しボートまで浮かんでいたのです。川は、子ども達の遊び場でした。本町や後町などの市街地に住んでいても、少し歩けば九頭竜川があり、泳ぐことができました。ただ、大水が出ればそれこそ大変でした。昔懐かしい九頭竜川の思い出が、このエッセイのおかげで鮮やかに浮かび上がりました。
 ヰタ・セクスアリス
 投稿者:  狂子 投稿日時: 2008-1-20 11:57  
 『誕生は仲間入りである』
生まれて三日以内の新生児があおむけにねかされて眠っている。まだなにも習いおぼえてないこの子がどんな動作をひとりでにおこすかと、そばに立って見ていると、ちょうどびっくりしたときのように、手足がビクッと引きつる運動が数分おきにくりかえされるのがまず目にとまる。    それからもう一つ、唇をすぼめて吸う運動が七、八回つづいては休むリズミカルな反復運動も気づかれるにちがいない。どちらもさめているより深く眠っているときの方に一層きわだっておこる、自然発生的運動である。 中略・・眠っているあいだに主にみられるもう一つの運動〜唇をすぼめて吸う形の運動の方も、無意味なくりかえし運動自体はまもなく消えて、だれでもすぐ理解できるとおり、母の乳首を吸うという、目的のあきらかな行動となる。   <島崎敏樹著「生きるとは何か」より>
「人の生涯」の流れがこんな本能的な新生児の動きから始まる話から始まる、もう古書でしか入手できない本になってしまったけれど再版して欲しい本の一つでもある。 
監督の「ヰタセクスアリス」に、なんと懐かしい言葉かと思った、嶋田氏のほんのりとした匂いさえ感じられる風景画、私的に楽しんでいた絵の中の「河原、市橋の裏通り」が監督の遊び場の思い出とヰタセクスアリスに繋がる場所とは思いがけないことでした。遊郭・・廃止の法的施行が出されてから50年経つのにその頃のほうがまだ大人と子供の世界の線引きがはっきりしていたように思えます。   こちらの懐かしい年代の写真から・・川で遊ぶ女の子、プールではしゃぐ素っ裸の男の子たち当時の子供達の毒のない表情を見るとなごみますが誰にでもあったこんな無邪気な年頃を経て性的気分への目覚めに入っていくのだろうなぁ〜私事では両親と一緒に男女のラブシーンもどきを観るのが気恥ずかしく思えた頃がそんな気分の目覚めかな・・。 鴎外の「舞姫」を学校で学んだが多感な頃あいからすればに「ヰタ・セクスアリス」の方が良かったのかもと思う(ブツブツ独り言)。
冒頭に記したように新生児の本能的な行動と同じく性的気分の目覚めも人の生涯の、厄介だけれど「生命の誕生」にも繋がる出来事としてなくてはならないシグナルだ、教習所に通わないでいきなり車のハンドルを握らされる危うさと個人差も含めて・・悲喜こもごものドラマ(人間模様)が今も昔も変らず繰り返されている所以かとも思えます。
人間の複雑な「性と生命」のアラベスクに比べれば、他の動植生物のほうはいたってシンプルで生命の帰結が明確だ。・・・がどちらも「生命の誕生」の尊い神のみ業には敬意を払いたいものです。

長くなりましたが監督の(今でも目に焼きついている)娼妓さんに個人的関心もいき、遊郭=薄幸な女性へのイメージも手伝ってか若い頃読んだ五木寛之「朱鷺の墓」本が思い出され監督とは違った意味での切ない想いにかられました。
監督の「桜の木が私を試すかのように・・・」の思わせぶりのクダリは気になるところですが、監督の「ヰタセクスアリス」は映画づくり、また映像への関心の原点でもあるのではないのかしらん?と思ったのは私だけだろうか・・・。
 懐かしく切ない日本の昔の姿
 投稿者:  海 投稿日時: 2008-1-27 0:28  
 監督の今回の文章を読んで、15年前にテレビ東京で放送していた「日本名作ドラマ」の森鴎外の雁(がん)を思い出しました。演出は故久世光彦さん、ヒロインの妾役は田中裕子さんでした。この世界観は(今はお歳召してるけど)若い頃の田中さんなら切なく悲しい娼婦を見事に演じてくれそうだなと思ってしまいます。あくまで私見ですが。昔はそこらじゅうに花街があって貧しい娘は身売りされた。親が貧しかったら、それは仕方のないこと。ありきたりの事だった。でも、そんな彼女達だって本当に愛する人もいたかもしれない。パトロンがついたら妾になる事も出来る。水揚げされたら借金地獄から逃れられる。でも、恋は捨てなくてはならない。今のホステスやホストはお金持ちになりたいとか自分のエゴや理想があって、その世界に飛びこんでいる。その世界には切なさはあまりないように思う。実は彼らも親不孝な仕事してる気がしていて、本当の職業を親に話せなくて、両親への匿名の手紙というホストクラブのHPには「親不孝してて ごめんなさい」とは書いているようだけど。
 話がそれてしまいました。久世さんは「ムーの一族」「寺内貫太郎一家」の名作以外にもこういう懐かしい日本の原風景を表現するのが得意だった方ですが、ドラマ雁には借金の肩に身売りされたヒロインの切ない世界が余すことなく描かれていました。東大生の石橋保さんへ思いを寄せながら叶わない愛の切なさとか。今回の文章でそのドラマを思い出してしまいました。こういう形のせつなさは現代の切なさとは違いますね。今の人なら駆け落ちしちゃえばというでしょうけど、親の借金を背負って身売りしたのに駆け落ちしたら借金を踏み倒した事になり、親が苦労するのに、そんな事はできませんもの。監督は美しい罠や金色の翼のイメージが強くて洋風の世界が好きなのかなと思っていましたが、和の世界観もお持ちなんですね。子供の頃、遠巻きにして見ていた大人の切なくて哀しい世界に、大卒後、社会人になり垣間見た花街は
どんな感じだったんでしょう?複雑な想いが入り乱れる世界は美しくて儚い女の園だったのでしょうか?
「もみの木は見ていた」ならぬ、「桜は見ていた」
四季とともに移ろう人の愛と哀しみの世界を・・・とキャッチコピーを作ってしまいたいくらいです。
 もう久世さんはいないけど、奥村監督がこの世界観でドラマか映画作って欲しいなと(無責任でわがままな願望ですが)思っています。でも、ヒロインを演じるのは誰に・・今の女優で幸薄そうな和風の人は木村多江さんくらいしか、すぐに思いつかないけど。本当は若い頃の田中さんに演じて欲しいのですが。あくまで希望であり、妄想です。お聞き流しくださいませ。
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